大河ドラマ『真田丸』の主要キャスト、堺雅人、長沢まさみ、草刈 正雄、大泉 洋、高畑淳子、近藤正臣、他 [真田丸]
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物語は、安土桃山時代から江戸時代初期にかけて
天下を争う大名たちに翻弄されながらも、知恵を頼りに
活躍した、真田幸村として知られる戦国時代の武将、
真田信繁の生涯を描くもの。脚本は三谷幸喜。
今年の大河ドラマ『真田丸』の主要キャストが発表
堺雅人・・・真田信繁(幸村)
大坂夏の陣で戦死(49歳)するまで波乱の人生を生きる。
長沢まさみ・・・きり(幸村の側室)
真田家の重臣・高梨内記(中原丈雄)の娘に生まれ、青春時代から大阪の陣まで、信繁の波 乱の人生に寄り添い続ける。 なお正室は竹林院。
草刈 正雄・・・幸村の実父 真田 昌幸(さなだ まさゆき)
信濃上田城主。初め,織田信長・徳川家康らに属す。関ヶ原の戦いでは豊臣方にくみし,徳川秀忠の西上を上田城に拠(よ)って阻止した。のち,高野山麓九度山に追放される。
大泉 洋 ・・・幸村の兄 真田信之(信幸)
関ヶ原の戦いでは徳川方にくみし,戦後、敗将となった父弟の助命を家康に嘆願した。最愛の妻は小松姫、享年93歳の長寿。
高畑淳子・・・薫(昌幸の正室、幸村の母) 別名 山之手殿
木村佳乃 ・・・松(幸村の姉)
草笛光子・・・とり(幸村の祖母)
黒木華・・・梅(幸村の初恋の女性)
藤本隆宏・・・堀田作兵衛(梅の兄)
吉田羊・・・小松姫(信之の正室、 本多忠勝の長女)
中原丈雄・・・高梨内記(きりの父、真田家の重臣)
寺島進・・・出浦昌相(いでうらまさすけ)
真田忍軍の頭領
藤井隆・・・佐助(幸村に使える伊賀の忍者)
平岳大・・・武田勝頼
遠藤憲一・・・上杉景勝
段田安則・・・滝川一益(父は甲賀忍者の名門、鉄砲の名手、織田信長に仕えた武将)
内野聖陽・・・徳川家康
近藤正臣・・・本多正信(家康の名参謀)
藤岡弘・・・本多忠勝(家康を支えた猛将)
斉藤由貴・・・阿茶局(家康の側室)
高嶋政伸・・・北条氏政
西村雅彦・・・室賀 正武(むろが まさたけ)戦国時代の信濃国の武将
当時の真田家は中小大名であり、家の存続のため信繁(幸村)は17歳の時、父・昌幸の命を受けて上杉家へと人質に出されます。それから約3年後に、上杉の人質から豊臣秀吉の人質へと移っています。
秀吉の人質生活では厚遇されたようです。
秀吉の死後関ヶ原の戦いでは父・昌幸と豊臣方につき、兄信幸は徳川につきます。
豊臣方が敗れ、兄信幸の嘆願もあって助命され父・昌幸とともに高野山の山麓の九度山に追放になります。
貧困生活の中関ヶ原の戦いから11年後の1611年に父・昌幸が亡くなります。
父・昌幸の死後3年の1614に大阪冬の陣が始まり幸村は大阪城に入るが、軍議の席での幸村の提案を豊臣の上層部は受けいれず、出城の真田丸を築いて孤軍奮闘する。
和睦後の翌年1615年大坂夏の陣では明石全登の軍勢とで、家康を挟み撃ちする作戦を遂行するも明石勢の連絡も秀頼の出馬もなく、やむなく覚悟を決め赤い鎧で身を固めた真田隊3000とともに家康の首のみを狙って、家康の本陣に三度にわたって繰り返し突撃する。
家康本陣は総崩れとなり12キロほども後退した。家康は自害を覚悟したが、家臣にとめらた。
しかし、三度目の突撃で真田隊は力尽き、幸村も討ち死にする。
翌日、豊臣秀頼、淀殿と側近は自害し、大阪城は落城し、豊臣家は滅亡する。
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物語は、安土桃山時代から江戸時代初期にかけて
天下を争う大名たちに翻弄されながらも、知恵を頼りに
活躍した、真田幸村として知られる戦国時代の武将、
真田信繁の生涯を描くもの。脚本は三谷幸喜。
今年の大河ドラマ『真田丸』の主要キャストが発表
堺雅人・・・真田信繁(幸村)
大坂夏の陣で戦死(49歳)するまで波乱の人生を生きる。
長沢まさみ・・・きり(幸村の側室)
真田家の重臣・高梨内記(中原丈雄)の娘に生まれ、青春時代から大阪の陣まで、信繁の波 乱の人生に寄り添い続ける。 なお正室は竹林院。
草刈 正雄・・・幸村の実父 真田 昌幸(さなだ まさゆき)
信濃上田城主。初め,織田信長・徳川家康らに属す。関ヶ原の戦いでは豊臣方にくみし,徳川秀忠の西上を上田城に拠(よ)って阻止した。のち,高野山麓九度山に追放される。
大泉 洋 ・・・幸村の兄 真田信之(信幸)
関ヶ原の戦いでは徳川方にくみし,戦後、敗将となった父弟の助命を家康に嘆願した。最愛の妻は小松姫、享年93歳の長寿。
高畑淳子・・・薫(昌幸の正室、幸村の母) 別名 山之手殿
木村佳乃 ・・・松(幸村の姉)
草笛光子・・・とり(幸村の祖母)
黒木華・・・梅(幸村の初恋の女性)
藤本隆宏・・・堀田作兵衛(梅の兄)
吉田羊・・・小松姫(信之の正室、 本多忠勝の長女)
中原丈雄・・・高梨内記(きりの父、真田家の重臣)
寺島進・・・出浦昌相(いでうらまさすけ)
真田忍軍の頭領
藤井隆・・・佐助(幸村に使える伊賀の忍者)
平岳大・・・武田勝頼
遠藤憲一・・・上杉景勝
段田安則・・・滝川一益(父は甲賀忍者の名門、鉄砲の名手、織田信長に仕えた武将)
内野聖陽・・・徳川家康
近藤正臣・・・本多正信(家康の名参謀)
藤岡弘・・・本多忠勝(家康を支えた猛将)
斉藤由貴・・・阿茶局(家康の側室)
高嶋政伸・・・北条氏政
西村雅彦・・・室賀 正武(むろが まさたけ)戦国時代の信濃国の武将
当時の真田家は中小大名であり、家の存続のため信繁(幸村)は17歳の時、父・昌幸の命を受けて上杉家へと人質に出されます。それから約3年後に、上杉の人質から豊臣秀吉の人質へと移っています。
秀吉の人質生活では厚遇されたようです。
秀吉の死後関ヶ原の戦いでは父・昌幸と豊臣方につき、兄信幸は徳川につきます。
豊臣方が敗れ、兄信幸の嘆願もあって助命され父・昌幸とともに高野山の山麓の九度山に追放になります。
貧困生活の中関ヶ原の戦いから11年後の1611年に父・昌幸が亡くなります。
父・昌幸の死後3年の1614に大阪冬の陣が始まり幸村は大阪城に入るが、軍議の席での幸村の提案を豊臣の上層部は受けいれず、出城の真田丸を築いて孤軍奮闘する。
和睦後の翌年1615年大坂夏の陣では明石全登の軍勢とで、家康を挟み撃ちする作戦を遂行するも明石勢の連絡も秀頼の出馬もなく、やむなく覚悟を決め赤い鎧で身を固めた真田隊3000とともに家康の首のみを狙って、家康の本陣に三度にわたって繰り返し突撃する。
家康本陣は総崩れとなり12キロほども後退した。家康は自害を覚悟したが、家臣にとめらた。
しかし、三度目の突撃で真田隊は力尽き、幸村も討ち死にする。
翌日、豊臣秀頼、淀殿と側近は自害し、大阪城は落城し、豊臣家は滅亡する。
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2015-08-01 00:01
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