大河ドラマ『真田丸』第一話 歴史オタク絶賛の内容だった! [真田丸]
先日、大河ドラマ『真田丸』の第一話が放送された。
発表された視聴率は19.9%と大台に届かずであったが、
その内容は歴史オタクが絶賛する内容だった。
そこで今回は、歴史好きだからこそ気づいた『真田丸』の演出について紹介していこう。
【昌幸・信繁とは呼ばないで「安房守」、「源次郎」で呼ぶ】・・・戦国時代は通称名、官職名で呼びあう
『真田丸』公式サイトを見ると、堺雅人演ずる主人公の名は「真田信繁」、信繁の父は「真田昌幸」と書かれている。
しかし、劇中では信繁は「源次郎」、昌幸は「安房守」と呼ばれていた。これはいったいどういうことなのだろうか。
実は戦国時代、本名は「諱(いみな)」と呼ばれており、本名で呼ぶことを避け、通称や官職名で呼び合う習慣があったのだ。そのため、信繁は通称である「源次郎」、昌幸は授けられていた官職名でもある「安房守」と呼ばれていたのである。
【兄が源三郎、弟が源次郎】
また、このドラマ内では信繁の通称が「源次郎」であるのに対し、兄の信之の通称が「源三郎」である理由(真田家は長男が早く死ぬことが多いのでげんをかついで長男の名を避けた。)も説明されており、視聴者が疑問に持つだろう点を先回りする姿勢も見られた。ちなみに父昌幸は「源五郎」だそうな。
【将棋の駒に「酔象」】
主人公の信繁と兄の信之が将棋を行っているシーンで、現在では見られない駒が見られた。それは「酔象」というもの。これは、かつて一乗谷の朝倉氏遺跡でも出土した駒であり、戦国時代の将棋にはこの駒が含まれていたともされている。
ちなみにこの「酔象」は敵陣に入ると、"太子"として王将と同じ役割を持つというかなり強い駒だったそう。
【地図に反乱をしっかり反映】
細かな『真田丸』の演出は、ゲーム「信長の野望」の協力を受けて実現したCGマップでも見られる。これは予想以上に「信長の野望」そのままのことでも話題になっていたもの。
ドラマ内ではCGマップを使い、徳川家や上杉家、武田家などの勢力を説明していたのだが、1581年から6年間にわたって新発田重家が上杉家に反旗を翻したことを反映し、上杉家の領土が飛び地になっていた。
このような細やかな部分にもしっかりと目を向け、演出に反映させるのが今回の大河ドラマの最大の特徴といっても過言ではない。
【二度汁に爪噛み 武将たちのエピソード】
また、天下に名高い武将たちを紹介する際も、戦国好きなら一度は聞いたことはあるエピソードをドラマ内で再現していた。
まずは北条氏政。ある時、ご飯に汁を2度もかけて食べたことで「毎日食事をしているのに、飯にかける汁の量も分からないとは。北条家もわしの代で終わりか」と父に嘆かれたエピソードがある。
これを受けてか、『真田丸』でも高嶋政伸演じる北条氏政が汁かけ飯を食べるシーンがあった。
そしてお次は徳川家康。彼は爪を噛む癖があったといわれており、これについてもドラマ内で忠実に再現されていた。
【美しく散った武田勝頼の悲哀】
そして第一話の肝だったのが、裏切りなどが相次いだ武田家が滅亡へと向かうこと。
滅亡時、武田の当主は武田勝頼であった。そのため、勝頼は先代が武田信玄だったにもかかわらず、武田を滅亡させた人物として愚将として描かれることがこれまで多数。
しかし今回の『真田丸』では美しく、それでいて悲哀に満ちて散っていく勝頼の姿がそこにあった。ここまで勝頼を美しく描いたドラマは今までになく、その勝頼の姿は多くの歴史好きの涙を誘っている。
史実をしっかりと埋め込んでいるので、真田丸のこれからの展開が楽しみですね。
きり
真田家重臣である高梨内記の娘。
真田信繁の側室、信繁の子を出産。
Reference:Excite Bit コネタ
大河ドラマ『真田丸』の主要キャスト、堺雅人、長沢まさみ、草刈 正雄、大泉 洋、高畑淳子、近藤正臣、他 [真田丸]
物語は、安土桃山時代から江戸時代初期にかけて
天下を争う大名たちに翻弄されながらも、知恵を頼りに
活躍した、真田幸村として知られる戦国時代の武将、
真田信繁の生涯を描くもの。脚本は三谷幸喜。
今年の大河ドラマ『真田丸』の主要キャストが発表
堺雅人・・・真田信繁(幸村)
大坂夏の陣で戦死(49歳)するまで波乱の人生を生きる。
長沢まさみ・・・きり(幸村の側室)
真田家の重臣・高梨内記(中原丈雄)の娘に生まれ、青春時代から大阪の陣まで、信繁の波 乱の人生に寄り添い続ける。 なお正室は竹林院。
草刈 正雄・・・幸村の実父 真田 昌幸(さなだ まさゆき)
信濃上田城主。初め,織田信長・徳川家康らに属す。関ヶ原の戦いでは豊臣方にくみし,徳川秀忠の西上を上田城に拠(よ)って阻止した。のち,高野山麓九度山に追放される。
大泉 洋 ・・・幸村の兄 真田信之(信幸)
関ヶ原の戦いでは徳川方にくみし,戦後、敗将となった父弟の助命を家康に嘆願した。最愛の妻は小松姫、享年93歳の長寿。
高畑淳子・・・薫(昌幸の正室、幸村の母) 別名 山之手殿
木村佳乃 ・・・松(幸村の姉)
草笛光子・・・とり(幸村の祖母)
黒木華・・・梅(幸村の初恋の女性)
藤本隆宏・・・堀田作兵衛(梅の兄)
吉田羊・・・小松姫(信之の正室、 本多忠勝の長女)
中原丈雄・・・高梨内記(きりの父、真田家の重臣)
寺島進・・・出浦昌相(いでうらまさすけ)
真田忍軍の頭領
藤井隆・・・佐助(幸村に使える伊賀の忍者)
平岳大・・・武田勝頼
遠藤憲一・・・上杉景勝
段田安則・・・滝川一益(父は甲賀忍者の名門、鉄砲の名手、織田信長に仕えた武将)
内野聖陽・・・徳川家康
近藤正臣・・・本多正信(家康の名参謀)
藤岡弘・・・本多忠勝(家康を支えた猛将)
斉藤由貴・・・阿茶局(家康の側室)
高嶋政伸・・・北条氏政
西村雅彦・・・室賀 正武(むろが まさたけ)戦国時代の信濃国の武将
当時の真田家は中小大名であり、家の存続のため信繁(幸村)は17歳の時、父・昌幸の命を受けて上杉家へと人質に出されます。それから約3年後に、上杉の人質から豊臣秀吉の人質へと移っています。
秀吉の人質生活では厚遇されたようです。
秀吉の死後関ヶ原の戦いでは父・昌幸と豊臣方につき、兄信幸は徳川につきます。
豊臣方が敗れ、兄信幸の嘆願もあって助命され父・昌幸とともに高野山の山麓の九度山に追放になります。
貧困生活の中関ヶ原の戦いから11年後の1611年に父・昌幸が亡くなります。
父・昌幸の死後3年の1614に大阪冬の陣が始まり幸村は大阪城に入るが、軍議の席での幸村の提案を豊臣の上層部は受けいれず、出城の真田丸を築いて孤軍奮闘する。
和睦後の翌年1615年大坂夏の陣では明石全登の軍勢とで、家康を挟み撃ちする作戦を遂行するも明石勢の連絡も秀頼の出馬もなく、やむなく覚悟を決め赤い鎧で身を固めた真田隊3000とともに家康の首のみを狙って、家康の本陣に三度にわたって繰り返し突撃する。
家康本陣は総崩れとなり12キロほども後退した。家康は自害を覚悟したが、家臣にとめらた。
しかし、三度目の突撃で真田隊は力尽き、幸村も討ち死にする。
翌日、豊臣秀頼、淀殿と側近は自害し、大阪城は落城し、豊臣家は滅亡する。