佳子さま、国際基督教大学ご卒業 宮内記者会の質問の回答全文 [皇室ニュース]
国際基督教大の卒業式を前に、写真撮影に応じられる秋篠宮家の次女佳子さま
佳子さま国際基督教大(ICU、東京都三鷹市)をご卒業
秋篠宮ご夫妻の次女、佳子さまは22日、国際基督教大(ICU、東京都三鷹市)を卒業された。
宮内庁によると進学や就職の予定はなく、成年皇族として本格的に公務に取り組まれる。佳子さまは同日、卒業式前に黒の帽子とガウン姿で取材に応じ「充実した学生生活を送ることができ、感謝しています」と話された。
佳子さまは宮内記者会の質問に文書で回答
この中で今後の公務について「依頼を頂いた仕事に、一つ一つ丁寧に取り組むというのが基本的な考え方」と意欲を示された。
自らの結婚は「遅過ぎずできれば良い」とする一方、姉の眞子さまのご結婚に関しては「結婚においては当人の気持ちが重要」との認識を示した上で、「姉の一個人としての希望がかなう形になってほしいと思っています」と気遣われた。
佳子さまは平成25年に学習院大にご進学。2年生途中で中退し、27年にICUに入学された。教養学部で3年生から心理学を専攻し、卒業論文では「ワーキングメモリとMind Wanderingが読解力に及ぼす影響」との題で、人間の読解力について考察された。在学中は29年9月から30年6月、英国のリーズ大学で舞台芸術なども学ばれた。
宮内記者会の質問の回答全文は以下の通り。
■「恵まれた環境、ありがたく」
問1 大学卒業を迎えての感想をお聞かせ下さい。学習院大学から国際基督教大学へ移られて学ばれたご感想や英国リーズ大学への短期留学などで印象深かったことは何でしょうか。学業以外も含め、エピソードを交えてご紹介ください。
佳子さま 大学卒業を迎え、学生生活が過ぎるのはあっという間であったと感じております。また,恵まれた環境で過ごせたことを大変ありがたく思っております。
学習院大学では、約1年半、教育の分野を学びました。国際基督教大学では、英語で学ぶことも含め、幅広い分野を学び、最終的に心理学を専攻いたしました。一つの分野を集中的に学ぶことも、幅広く学ぶことも、どちらも非常に意義のある経験であったと感じております。学業以外では、仲良くなった友人達と一緒に食事をしながら会話を楽しむなど、どちらの大学でも思い出深い学生生活を過ごすことができました。
国際基督教大学の在学中に短期留学をしたリーズ大学では、日本では学ぶ機会の少ない、舞台芸術に関わる分野や、国際基督教大学で専攻していた心理の分野などを含め、幅広く学びました。上に書いたことと重なりますが、一つの分野を集中的に学ぶことも、幅広く学ぶことも、どちらも非常に意義のある経験であったと感じております。印象深かったことは、留学中の一連の経験と言えます。英語で学び、英語で生活をしたこと、様々な国の人と交流し、いろいろな文化に触れたこと、今までになかった新しい視野を持つことができたことなど、多くの経験ができたので、留学をしていた約9ヶ月間は非常に印象深い期間でした。
どの大学においても、教職員の方、仲良くなった友人達、大学に通うに当たりお世話になった方々など、関わってくださった方々に非常に感謝しております。
■今後の公務、「一つ一つ丁寧に」
問2 今後の進路と将来の夢についてお聞かせください。卒業後は公務に臨まれる機会もさらに増えてくるかと思いますが、大学での経験を活かし、どういった活動に力をいれていきたいとお考えでしょうか。同じ国際基督教大学で学ばれた眞子さまは大学卒業後、イギリスのレスター大学大学院に留学されましたが佳子さまはそういったご希望はありますか。
佳子さま 公的な仕事は以前からしておりましたが、卒業後はその機会が増えることになると思います。どのような活動に力を入れたいかについては、以前にもお答えしたことがありますが、私が何をやりたいかではなく、依頼を頂いた仕事に、一つ一つ丁寧に取り組むというのが基本的な考え方です。
これまで行った仕事は様々な分野のものがありました。大学生活で、一つの分野を集中的に学んだ経験も、幅広く学んだ経験もこれからの仕事に活かすことができれば嬉しく思います。
将来の夢は、あくまでも夢ですので、以前と変わらず自分の中で温めておきたいと思っています。
大学院への進学は現時点では考えておりません。
■「両親からのアドバイスに感謝」
問3 ご家族についてお伺いします。ご両親、眞子さま、悠仁さまと普段はどのようにお過ごしでしょうか。ご家庭でのエピソードをお聞かせ下さい。卒業にあたってご両親に伝えたいことや、眞子さま、この春中学生になられる悠仁さまへのメッセージ、ご両親や眞子さまから受けられた印象的なアドバイスもあわせてお聞かせ下さい。
佳子さま 両親には、公的な仕事に関することや、意見を聞いたほうが良いと感じる事柄についてアドバイスを求めることがあります。姉とは日常の出来事をお互いに報告しあったり、相談事をしたりします。弟とは、姉と同じように日常の会話をしたり、一緒にテレビを見たり、遊んだりしています。姉と弟と3人で話をしていると、非常に楽しく、たわいもないことで笑いが止まらなくなることもあります。
卒業に当たり両親に伝えたいことですが、上に書いたように、私は公的な仕事に関することや、意見を聞いたほうが良いと感じる事柄について両親にアドバイスを求めることがあります。そのような際にアドバイスをもらえることに感謝しています。姉は、小さい頃から私のことを非常にかわいがってくれましたし、いつでも私の味方でいてくれました。いつもありがとうと思っています。
今年の春から中学生になる弟へのメッセージですが、楽しく充実した日々を過ごしてほしいと思います。
印象的なアドバイスについては、公的な活動への取り組み方ということが挙げられます。問2でお答えしていることと重なりますが、公的な仕事は、自分が何をしたいかで選ぶものではなく、依頼を頂いたものを一つ一つ丁寧に行うという考え方は父からのアドバイスであり、母と姉も共通して持っている認識であると思います。
■理想の男性像「一緒にいて落ち着ける方」
問4 秋篠宮さまは去年11月のお誕生日にあたっての記者会見で、佳子さまの結婚について「それほど遅くなくしてくれたらいいとは思います」と話されました。結婚の時期や、理想の男性像についてどのようにお考えでしょうか。お相手はいらっしゃいますか。眞子さまは、結婚に関する儀式を延期されていますが、家族としてどのように受け止めていらっしゃいますか。
佳子さま 結婚の時期については、遅過ぎずできれば良いと考えております。理想の男性像については、以前もお答えしていますが、一緒にいて落ち着ける方が良いと考えております。相手がいるかについてですが、このような事柄に関する質問は、今後も含めお答えするつもりはございません。
姉が結婚に関する儀式を延期していることについてですが、私は、結婚においては当人の気持ちが重要であると考えています。ですので、姉の一個人としての希望がかなう形になってほしいと思っています。
また、姉の件に限らず、以前から私が感じていたことですが、メディア等の情報を受け止める際に、情報の信頼性や情報発信の意図などをよく考えることが大切だと思っています。今回の件を通して、情報があふれる社会においてしっかりと考えることの大切さを改めて感じています。
■代替わり後、「一皇族としてお役に」
問5 まもなく皇位継承が行われます。これまで象徴としての務めを果たしてこられた天皇陛下と支えてこられた皇后さまのご活動をどのようにご覧になってきましたか。新天皇皇后となられる、皇太子ご夫妻へのお気持ちとともに、皇族の減少など皇室の抱える課題についてのお考えもあわせてお聞かせください。
佳子さま 天皇陛下と皇后陛下のご活動についてですが、両陛下は約60年の長きにわたり、様々なご活動に心を込めて取り組んでこられました。このことを、大変尊敬申し上げております。様々な事柄に対して、まるでご自身のことのように、時にはお心を痛められ、時には喜ばれるご様子に触れ、強く心に残るものがございました。公的な場以外でお目にかかる際にも、私たち若い世代にとって大切なことをお話し下さいます。このように、真剣な思いを持っていらっしゃる両陛下であるからこそ、ご活動の際にそのお心が自然と伝わってくるのではないかと思っております。
皇太子殿下、皇太子妃殿下についてですが、両殿下は5月に天皇皇后両陛下になられます。私は大学を卒業し、皇族の一員としての活動が以前より多くなってまいりますので、そのような中で、少しでもお二方のお役に立つことができれば誠に嬉しく思います。
皇族の減少などの課題につきましては、制度のこととも関係しますので、回答は控えたいと思います。
ご卒業おめでとうございます。
今後のご活躍とご平安をお祈り申し上げます。
皇居・宮殿で1日、新年恒例の祝賀行事、2日には皇居・宮殿で新年一般参賀 [皇室ニュース]
皇居・宮殿で1日、新年恒例の祝賀行事があった。
「松の間」で開かれた祝賀の儀では、国会議員を代表して衆参両院の議長があいさつし、天皇陛下は「一同の祝意に深く感謝いたします」「年頭にあたり、国の発展と、国民の幸せを祈ります」と話した。
2日には皇居・宮殿で新年一般参賀があり、平成に入り3番目に多い計約8万1030人が訪れた。
天皇、皇后両陛下は、皇太子ご夫妻ら皇族方とともに宮殿のベランダに計5回立ち、集まった人たちに手を振って応えた。
天皇陛下はマイクを通じて「本年が国民一人一人にとり、少しでもよい年となるよう願っています」などと呼びかけた。
皇后さまや皇太子さま、秋篠宮ご夫妻ら皇族方も出席。成年を迎えた秋篠宮家の次女佳子さまはティアラ姿で初めて出席し、姉の眞子さまと並んだ。
昨年11月に肋骨(ろっこつ)を骨折した常陸宮さま(79)も妻華子さま(74)とともに元気な姿を見せた。また、初回には、99歳の白寿を迎えた三笠宮さまもベランダに立ち、右手を何度も頭の上に掲げて参賀者に応えていた。
天皇陛下の83歳の誕生日を祝う一般参賀が12月23日、皇居で行われた。 [皇室ニュース]
天皇陛下が83歳の誕生日を迎えられた23日、皇居で一般参賀が行われた。
この日の参賀者数は、平成で最多の3万8588人に上った。即位20年と結婚50年が重なり、それまで最多だった2009年の3万560人を大きく上回った。
陛下は「寄せられた祝意に対し深く感謝いたします」と述べた上で、新潟県糸魚川市の中心部で22日に発生した大火に触れ「多くの人が寒さの中、避難を余儀なくされており、健康に障りのないことを願っています」と気遣われた。
「来年が明るく、また穏やかな年となることを念じ、みなさんの健康と幸せを祈ります」と述べられ、笑顔で集まった人々に手を振られた。
陛下が今年8月に退位の意向を強くにじませた「お言葉」を表明され、」陛下の譲位のご意向を受けて初めて来た参賀者も目立ち、宮内庁関係者は「皇室に関心が寄せられ、陛下も喜ばれていると思う」と話した。
陛下とともに皇后さまや皇太子ご夫妻、秋篠宮ご夫妻と長女の眞子さま、次女の佳子さまもベランダに立って手を振られた。
家族連れや若い世代の姿も多かった。「皇室に関心はなかった」という千葉県船橋市の会社員(25)は、譲位のニュースを見て友人と2人で初めて足を運び、「陛下の穏やかな顔にほっとした」と笑顔を見せた。
幼稚園児の長男(5)と一緒だった東京都渋谷区の会社役員(38)はいつも来ているといい、「変わらぬお姿に安心したが、お体のことを考えれば無理をしていただきたくない」と願った。
天皇陛下のお言葉(全文)=東日本大震災5年追悼式 [皇室ニュース]
天皇陛下は3月11日、皇后さまとともに、都内で開かれた東日本大震災の犠牲者の追悼式に出席し、「これからも国民が心を一つにして寄り添っていくことが大切と思います」と述べられた。
お言葉の全文は次の通り
■お言葉全文
東日本大震災から5年が経ちました。ここに一同と共に、震災によって亡くなった人々とその遺族に対し、深く哀悼の意を表します。
5年前の今日、東日本を襲った巨大地震と、それに伴う津波により、2万人を超す死者、行方不明者が生じました。仙台平野を黒い壁のような波が、非常な速さで押し寄せてくるテレビの映像は、決して忘れることができないものでした。このような津波に対して、どのような避難の道が確保できるのか暗澹たる気持ちになったことが思い起こされます。また、何人もの漁業者が、船を守るために沖に向け出航していく雄々しい姿も深く心に残っています。
このような中で、自衛隊、警察、消防、海上保安庁を始めとする国や地方自治体関係者、さらには、一般市民が、厳しい状況の中で自らの危険や労をいとわず救助や捜索活動に携わったことに深い感謝の念を抱いています。
地震、津波に続き、原子力発電所の事故が発生し、放射能汚染のため、多くの人々が避難生活を余儀なくされました。事態の改善のために努力が続けられていますが、今なお、自らの家に帰還できないでいる人々を思うと心が痛みます。
こうした苦難の中で、政府や全国の地方自治体と一緒になって、多数のボランティアが被災者のために支援活動を行いました。また、160を超える国・地域や多数の国際機関、また在日米軍が多大な支援に当たってくれたことも忘れることはできません。
あれから5年、みなが協力して幾多の困難を乗り越え、復興に向けて努力を続けてきました。この結果、防災施設の整備、安全な居住地域の造成、産業の再建など進展が見られました。しかし、被災地で、また避難先で、今日もなお、多くの人が苦難の生活を続けています。特に、年々高齢化していく被災者を始めとし、私どもの関心の届かぬ所で、いまだ人知れず苦しんでいる人も多くいるのではないかと心に掛かります。
困難の中にいる人々、一人ひとりが取り残されることなく、一日も早く普通の生活を取り戻すことができるよう、これからも国民が心を一つにして寄り添っていくことが大切と思います。
日本は美しい自然に恵まれていますが、その自然は時に非常に危険な一面を見せることもあります。この度の大震災の大きな犠牲のもとで学んだ教訓をいかし、国民みなが防災の心を培うとともに、それを次の世代に引き継ぎ、より安全な国土が築かれていくことを衷心より希望しています。
今なお不自由な生活の中で、たゆみない努力を続けている人々に思いを寄せ、被災地に一日も早く安らかな日々の戻ることを、一同と共に願い、御霊への追悼の言葉といたします。
皇太子さま:56歳に「被災地復興に心を寄せていきたい」 誕生日を 前に記者会見に臨まれました。 [皇室ニュース]
皇太子さまは、23日、56歳の誕生日を迎えられました。
皇太子さまは、誕生日を前に記者会見に臨まれました。
この中で皇太子さまは、東日本大震災から5年になるのを前に、去年の福島県への訪問を振り返り、「復興の道のりはまだ長く続いていると改めて実感いたしました」と話されました。
そのうえで、「引き続き、雅子とともに被災者お一人一人の悲しみやご苦労に思いを寄せ、厳しい環境の下で暮らす被災者の健康とお幸せを祈りながら、被災地の復興に永く心を寄せていきたいと思っています」と述べられました。
また、戦後70年の去年を振り返り、「改めて戦争の悲惨さと平和の尊さに深く思いを致しました」と語るとともに、天皇皇后両陛下がパラオとフィリピンで戦没者を慰霊されたことについて、「両陛下の平和を思うお心を私たち次の世代がしっかり受け継いでいかなければならない」と述べられました。
一方、去年、皇太子さまとトンガを公式訪問し、12年ぶりに園遊会にも出席された雅子さまについては、「少しずつ活動の幅を広げていく中で、依然波はあるものの、体調についても、それに見合う形で少しずつ回復してきているように感じています」と話されました。
中学2年生の長女の愛子さまの高校進学など将来のことについては、「本人の希望をなるべく尊重してまいりたいと思っていますが、さまざまな経験を積み、自分の望む道をしっかり歩んでいってほしい」と語られました。
高齢になっても多くの公務に取り組む両陛下について「お気持ちに思いを致しながら、できる限りお手伝いをしてまいりたい」と語られました。
天皇皇后両陛下、フィリピンへ、国際親善と戦没者を慰霊 おことば全文 [皇室ニュース]
天皇皇后両陛下は1月26日から国際親善と
戦没者慰霊のためフィリピンを訪問されました。
26日フィリピン訪問出発前におことば 全文
この度、フィリピン国大統領閣下からの御招待により、皇后と共に、同国を訪問いたします。
私どもは、ガルシア大統領が国賓として日本を御訪問になったことに対する答訪として、昭和37年、昭和天皇の名代として、フィリピンを訪問いたしました。それから54年、日・フィリピン国交正常化60周年に当たり、皇后と共に再び同国を訪れることをうれしく、感慨深く思っております。
フィリピンでは、先の戦争において、フィリピン人、米国人、日本人の多くの命が失われました。中でもマニラの市街戦においては、膨大な数に及ぶ無辜のフィリピン市民が犠牲になりました。私どもはこのことを常に心に置き、この度の訪問を果たしていきたいと思っています。
旅の終わりには、ルソン島東部のカリラヤの地で、フィリピン各地で戦没した私どもの同胞の霊を弔う碑に詣でます。
この度の訪問が、両国の相互理解と友好関係の更なる増進に資するよう深く願っております。
終わりに内閣総理大臣始め、この訪問に心を寄せられた多くの人々に深く感謝いたします。
27日、フィリピンでの晩餐(ばんさん)会にあたり、おことばを述べられました。全文
貴国と我が国との国交正常化60周年に当たり、大統領閣下の御招待によりここフィリピンの地を再び踏みますことは、皇后と私にとり、深い喜びと感慨を覚えるものであります。今夕は私どものために晩餐会を催され、大統領閣下から丁重な歓迎の言葉をいただき、心より感謝いたします。
私どもが初めて貴国を訪問いたしましたのは、1958年12月、ガルシア大統領御夫妻が国賓として我が国を御訪問になったことに対する、昭和天皇の名代としての答訪であり、今から54年前のことであります。1962年11月、マニラ空港に着陸した飛行機の機側に立ち、温顔で迎えて下さったマカパガル大統領御夫妻を始め、多くの貴国民から温かく迎えられたことは、私どもの心に今も深く残っております。この時、カヴィテにアギナルド将軍御夫妻をお訪ねし、将軍が1898年、フィリピンの独立を宣言されたバルコニーに将軍御夫妻と共に立ったことも、私どもの忘れ得ぬ思い出であります。
貴国と我が国の人々の間には、16世紀中頃から交易を通じて交流が行われ、マニラには日本町もつくられました。しかし17世紀に入り、時の日本の政治を行っていた徳川幕府が鎖国令を出し、日本人の外国への渡航と、外国人の日本への入国を禁じたことから、両国の人々の交流はなくなりました。その後再び交流が行われるようになったのは、19世紀半ば、我が国が鎖国政策を改め、諸外国との間に国交を開くことになってからのことです。
当時貴国はスペインの支配下に置かれていましたが、その支配から脱するため、人々は身にかかる危険をも顧みず、独立を目指して活動していました。ホセ・リサールがその一人であり、武力でなく、文筆により独立への機運を盛り上げた人でありました。若き日に彼は日本に1カ月半滞在し、日本への理解を培い、来たる将来、両国が様々な交流や関係を持つであろうと書き残しています。リサールは、フィリピンの国民的英雄であるとともに、日比両国の友好関係の先駆けとなった人物でもありました。
昨年私どもは、先の大戦が終わって70年の年を迎えました。この戦争においては、貴国の国内において日米両国間の熾烈(しれつ)な戦闘が行われ、このことにより貴国の多くの人が命を失い、傷つきました。このことは、私ども日本人が決して忘れてはならないことであり、この度の訪問においても、私どもはこのことを深く心に置き、旅の日々を過ごすつもりでいます。
貴国は今、閣下の英邁(えいまい)な御指導のもと、アジアの重要な核を成す一国として、堅実な発展を続けています。過ぐる年の初夏、閣下を国賓として我が国にお迎えできたことは、今も皇后と私の、うれしく楽しい思い出になっています。
この度の私どもの訪問が、両国国民の相互理解と友好の絆を一層強めることに資することを深く願い、ここに大統領閣下並びに御姉上の御健勝と、フィリピン国民の幸せを祈り、杯を挙げたいと思います。
28日、在留の日系人と面会、レセプション等
首都マニラのホテルで、太平洋戦争によって家族が犠牲になるなど苦難の道を歩んだ同国在住の日系人らをねぎらわれるなど多くの公務をこなされました。
・日本に留学・研修経験のあるフィリピン人と面会
・フィリピンに在留する邦人や日系人と面会
・看護師・介護福祉士として日本で働くことを目指すフィリピン人が学ぶ語学研修センターを視察
・駐フィリピン日本大使主催のレセプション
29日、マニラ郊外にある日本政府の慰霊碑を訪れ、太平洋戦争の戦没者の霊を慰められました。
両陛下は、現地時間の29日昼前、マニラ郊外のカリラヤにある日本政府が建てた「比島戦没者の碑」に到着されました。
慰霊碑には、太平洋戦争の戦没者が祭られていて、両陛下は、日本から訪れた遺族や生き残った元日本兵などおよそ150人が見守るなか、厚生労働省の二川一男事務次官の案内で、両国の国旗が掲げられた慰霊碑の前にゆっくりと進まれました。そして、側近から白い菊の花束を受け取ると、慰霊碑に向かって一礼して供花台に供え、深く拝礼して戦没者の霊を慰められました。
このあと、遺族や元日本兵たちの前まで歩き、一人一人に丁寧にことばをかけられました。天皇陛下は、ルソン島で戦死した父親の写真を手にした71歳の男性に、「残念なことでしたね」とことばをかけ、遺族などでつくる団体の代表には、「遺族も高齢の人が多くなるから、安定した生活ができるようよろしくお願いします」と話されていました。
30日アキノ大統領の見送りを受けられ帰国の途に
30日フィリピン訪問の日程を終え、1月30日正午頃アキノ大統領の見送りを受けられマニラのニノイ・アキノ国際空港から帰国の途につかれ午後5時前、両陛下は、政府専用機で羽田空港に到着された。
54年ぶりとなった両陛下のフィリピンご訪問。
大統領が空港に出迎え、そして、見送りするのは異例のこと。
日本とフィリピンが国交正常化して60年になる。
その間に、両陛下が常に全ての戦没者に心を寄せられ、両国が関係の和解に努めてきた軌跡が、今回の異例ともいえるフィリピン側のおもてなしにつながったものとみられる。.
皇太子夫妻時代のフィリピン訪問で、マニラに到着された天皇、皇后両陛下。右はマカパガル大統領(当時)夫妻=1962年11月05日(c)時事通信社
天皇皇后両陛下、パラオご訪問
皇太子ご夫妻、トンガご訪問
<皇太子ご夫妻>トンガから帰国 トンガ国王戴冠式終え 愛子さま笑顔で出迎え [皇室ニュース]
南太平洋のトンガを訪問していた皇太子ご夫妻は6日午後5時前、
チャーター機で東京・羽田に到着された。
ツポウ6世国王の戴冠式参列
今回のトンガ訪問で、ご夫妻は、ツポウ6世国王の戴冠式(たいかんしき)など2つの公式行事に予定どおりそろって出席されました。
訪問を終えたご夫妻は、文書で感想を表し、「皆様に温かく迎えていただいたことを心からありがたく思いました。両国国民の友情と交流の絆が更に強まればと願っています」と述べられました。
お住まいの東宮御所の玄関では、長女の愛子さまが出迎え、ご夫妻と愛子さまは、笑顔でことばを交わしたあと3人で並んで報道陣に会釈されました。
ユーチューブ
パラオご訪問、天皇皇后両陛下、慰霊で [皇室ニュース]
天王皇后両陛下が太平洋戦争の戦没者を慰霊するため、
4月8日パラオ共和国をご訪問された。
天皇陛下は、「ここパラオの地において、私どもは、先の戦争で
亡くなったすべての人々を追悼し、その遺族の歩んできた苦難の
道をしのびたいと思います」とお言葉を述べられた。
9日は激戦地、ペリリュー島を御訪問、日米慰霊碑に供花された。
天皇、皇后両陛下が戦没者慰霊のため、パラオをご訪問
8日パラオに到着した両陛下は、レメンゲサウ大統領夫妻の出迎えを受けた。、晩さん会では、近隣のミクロネシア、マーシャル諸島の大統領夫妻と、笑顔であいさつを交わされた。
レメンゲサウ大統領は、亡くなった日本兵に対し、哀悼の意を表し、犠牲者の魂が故郷に戻れるよう、遺骨収集に今後も最大限の協力を行う考えを示した。
天皇皇后両陛下 9日はペリリュー島をご訪問へ
太平洋戦争の終戦前年の激戦地がパラオ共和国のペリリュー島、この島で日本軍の1万人近くがほぼ全滅した。アメリカ軍も1700人近くが戦死した。
圧倒的に不利な日本軍は洞窟を要塞化して立てこもりゲリラ戦を展開した。
しかし圧倒的な兵力で攻め込んだアメリカ軍のまえにおよそ2カ月で玉砕した。
わずかに生き残ったのは34人で2年間終戦を知らずに洞窟で過ごした。