天皇皇后両陛下、フィリピンへ、国際親善と戦没者を慰霊 おことば全文 [皇室ニュース]
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天皇皇后両陛下は1月26日から国際親善と
戦没者慰霊のためフィリピンを訪問されました。
26日フィリピン訪問出発前におことば 全文
この度、フィリピン国大統領閣下からの御招待により、皇后と共に、同国を訪問いたします。
私どもは、ガルシア大統領が国賓として日本を御訪問になったことに対する答訪として、昭和37年、昭和天皇の名代として、フィリピンを訪問いたしました。それから54年、日・フィリピン国交正常化60周年に当たり、皇后と共に再び同国を訪れることをうれしく、感慨深く思っております。
フィリピンでは、先の戦争において、フィリピン人、米国人、日本人の多くの命が失われました。中でもマニラの市街戦においては、膨大な数に及ぶ無辜のフィリピン市民が犠牲になりました。私どもはこのことを常に心に置き、この度の訪問を果たしていきたいと思っています。
旅の終わりには、ルソン島東部のカリラヤの地で、フィリピン各地で戦没した私どもの同胞の霊を弔う碑に詣でます。
この度の訪問が、両国の相互理解と友好関係の更なる増進に資するよう深く願っております。
終わりに内閣総理大臣始め、この訪問に心を寄せられた多くの人々に深く感謝いたします。
27日、フィリピンでの晩餐(ばんさん)会にあたり、おことばを述べられました。全文
貴国と我が国との国交正常化60周年に当たり、大統領閣下の御招待によりここフィリピンの地を再び踏みますことは、皇后と私にとり、深い喜びと感慨を覚えるものであります。今夕は私どものために晩餐会を催され、大統領閣下から丁重な歓迎の言葉をいただき、心より感謝いたします。
私どもが初めて貴国を訪問いたしましたのは、1958年12月、ガルシア大統領御夫妻が国賓として我が国を御訪問になったことに対する、昭和天皇の名代としての答訪であり、今から54年前のことであります。1962年11月、マニラ空港に着陸した飛行機の機側に立ち、温顔で迎えて下さったマカパガル大統領御夫妻を始め、多くの貴国民から温かく迎えられたことは、私どもの心に今も深く残っております。この時、カヴィテにアギナルド将軍御夫妻をお訪ねし、将軍が1898年、フィリピンの独立を宣言されたバルコニーに将軍御夫妻と共に立ったことも、私どもの忘れ得ぬ思い出であります。
貴国と我が国の人々の間には、16世紀中頃から交易を通じて交流が行われ、マニラには日本町もつくられました。しかし17世紀に入り、時の日本の政治を行っていた徳川幕府が鎖国令を出し、日本人の外国への渡航と、外国人の日本への入国を禁じたことから、両国の人々の交流はなくなりました。その後再び交流が行われるようになったのは、19世紀半ば、我が国が鎖国政策を改め、諸外国との間に国交を開くことになってからのことです。
当時貴国はスペインの支配下に置かれていましたが、その支配から脱するため、人々は身にかかる危険をも顧みず、独立を目指して活動していました。ホセ・リサールがその一人であり、武力でなく、文筆により独立への機運を盛り上げた人でありました。若き日に彼は日本に1カ月半滞在し、日本への理解を培い、来たる将来、両国が様々な交流や関係を持つであろうと書き残しています。リサールは、フィリピンの国民的英雄であるとともに、日比両国の友好関係の先駆けとなった人物でもありました。
昨年私どもは、先の大戦が終わって70年の年を迎えました。この戦争においては、貴国の国内において日米両国間の熾烈(しれつ)な戦闘が行われ、このことにより貴国の多くの人が命を失い、傷つきました。このことは、私ども日本人が決して忘れてはならないことであり、この度の訪問においても、私どもはこのことを深く心に置き、旅の日々を過ごすつもりでいます。
貴国は今、閣下の英邁(えいまい)な御指導のもと、アジアの重要な核を成す一国として、堅実な発展を続けています。過ぐる年の初夏、閣下を国賓として我が国にお迎えできたことは、今も皇后と私の、うれしく楽しい思い出になっています。
この度の私どもの訪問が、両国国民の相互理解と友好の絆を一層強めることに資することを深く願い、ここに大統領閣下並びに御姉上の御健勝と、フィリピン国民の幸せを祈り、杯を挙げたいと思います。
28日、在留の日系人と面会、レセプション等
首都マニラのホテルで、太平洋戦争によって家族が犠牲になるなど苦難の道を歩んだ同国在住の日系人らをねぎらわれるなど多くの公務をこなされました。
・日本に留学・研修経験のあるフィリピン人と面会
・フィリピンに在留する邦人や日系人と面会
・看護師・介護福祉士として日本で働くことを目指すフィリピン人が学ぶ語学研修センターを視察
・駐フィリピン日本大使主催のレセプション
29日、マニラ郊外にある日本政府の慰霊碑を訪れ、太平洋戦争の戦没者の霊を慰められました。
両陛下は、現地時間の29日昼前、マニラ郊外のカリラヤにある日本政府が建てた「比島戦没者の碑」に到着されました。
慰霊碑には、太平洋戦争の戦没者が祭られていて、両陛下は、日本から訪れた遺族や生き残った元日本兵などおよそ150人が見守るなか、厚生労働省の二川一男事務次官の案内で、両国の国旗が掲げられた慰霊碑の前にゆっくりと進まれました。そして、側近から白い菊の花束を受け取ると、慰霊碑に向かって一礼して供花台に供え、深く拝礼して戦没者の霊を慰められました。
このあと、遺族や元日本兵たちの前まで歩き、一人一人に丁寧にことばをかけられました。天皇陛下は、ルソン島で戦死した父親の写真を手にした71歳の男性に、「残念なことでしたね」とことばをかけ、遺族などでつくる団体の代表には、「遺族も高齢の人が多くなるから、安定した生活ができるようよろしくお願いします」と話されていました。
30日アキノ大統領の見送りを受けられ帰国の途に
30日フィリピン訪問の日程を終え、1月30日正午頃アキノ大統領の見送りを受けられマニラのニノイ・アキノ国際空港から帰国の途につかれ午後5時前、両陛下は、政府専用機で羽田空港に到着された。
54年ぶりとなった両陛下のフィリピンご訪問。
大統領が空港に出迎え、そして、見送りするのは異例のこと。
日本とフィリピンが国交正常化して60年になる。
その間に、両陛下が常に全ての戦没者に心を寄せられ、両国が関係の和解に努めてきた軌跡が、今回の異例ともいえるフィリピン側のおもてなしにつながったものとみられる。.
皇太子夫妻時代のフィリピン訪問で、マニラに到着された天皇、皇后両陛下。右はマカパガル大統領(当時)夫妻=1962年11月05日(c)時事通信社
天皇皇后両陛下、パラオご訪問
皇太子ご夫妻、トンガご訪問
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天皇皇后両陛下は1月26日から国際親善と
戦没者慰霊のためフィリピンを訪問されました。
26日フィリピン訪問出発前におことば 全文
この度、フィリピン国大統領閣下からの御招待により、皇后と共に、同国を訪問いたします。
私どもは、ガルシア大統領が国賓として日本を御訪問になったことに対する答訪として、昭和37年、昭和天皇の名代として、フィリピンを訪問いたしました。それから54年、日・フィリピン国交正常化60周年に当たり、皇后と共に再び同国を訪れることをうれしく、感慨深く思っております。
フィリピンでは、先の戦争において、フィリピン人、米国人、日本人の多くの命が失われました。中でもマニラの市街戦においては、膨大な数に及ぶ無辜のフィリピン市民が犠牲になりました。私どもはこのことを常に心に置き、この度の訪問を果たしていきたいと思っています。
旅の終わりには、ルソン島東部のカリラヤの地で、フィリピン各地で戦没した私どもの同胞の霊を弔う碑に詣でます。
この度の訪問が、両国の相互理解と友好関係の更なる増進に資するよう深く願っております。
終わりに内閣総理大臣始め、この訪問に心を寄せられた多くの人々に深く感謝いたします。
27日、フィリピンでの晩餐(ばんさん)会にあたり、おことばを述べられました。全文
貴国と我が国との国交正常化60周年に当たり、大統領閣下の御招待によりここフィリピンの地を再び踏みますことは、皇后と私にとり、深い喜びと感慨を覚えるものであります。今夕は私どものために晩餐会を催され、大統領閣下から丁重な歓迎の言葉をいただき、心より感謝いたします。
私どもが初めて貴国を訪問いたしましたのは、1958年12月、ガルシア大統領御夫妻が国賓として我が国を御訪問になったことに対する、昭和天皇の名代としての答訪であり、今から54年前のことであります。1962年11月、マニラ空港に着陸した飛行機の機側に立ち、温顔で迎えて下さったマカパガル大統領御夫妻を始め、多くの貴国民から温かく迎えられたことは、私どもの心に今も深く残っております。この時、カヴィテにアギナルド将軍御夫妻をお訪ねし、将軍が1898年、フィリピンの独立を宣言されたバルコニーに将軍御夫妻と共に立ったことも、私どもの忘れ得ぬ思い出であります。
貴国と我が国の人々の間には、16世紀中頃から交易を通じて交流が行われ、マニラには日本町もつくられました。しかし17世紀に入り、時の日本の政治を行っていた徳川幕府が鎖国令を出し、日本人の外国への渡航と、外国人の日本への入国を禁じたことから、両国の人々の交流はなくなりました。その後再び交流が行われるようになったのは、19世紀半ば、我が国が鎖国政策を改め、諸外国との間に国交を開くことになってからのことです。
当時貴国はスペインの支配下に置かれていましたが、その支配から脱するため、人々は身にかかる危険をも顧みず、独立を目指して活動していました。ホセ・リサールがその一人であり、武力でなく、文筆により独立への機運を盛り上げた人でありました。若き日に彼は日本に1カ月半滞在し、日本への理解を培い、来たる将来、両国が様々な交流や関係を持つであろうと書き残しています。リサールは、フィリピンの国民的英雄であるとともに、日比両国の友好関係の先駆けとなった人物でもありました。
昨年私どもは、先の大戦が終わって70年の年を迎えました。この戦争においては、貴国の国内において日米両国間の熾烈(しれつ)な戦闘が行われ、このことにより貴国の多くの人が命を失い、傷つきました。このことは、私ども日本人が決して忘れてはならないことであり、この度の訪問においても、私どもはこのことを深く心に置き、旅の日々を過ごすつもりでいます。
貴国は今、閣下の英邁(えいまい)な御指導のもと、アジアの重要な核を成す一国として、堅実な発展を続けています。過ぐる年の初夏、閣下を国賓として我が国にお迎えできたことは、今も皇后と私の、うれしく楽しい思い出になっています。
この度の私どもの訪問が、両国国民の相互理解と友好の絆を一層強めることに資することを深く願い、ここに大統領閣下並びに御姉上の御健勝と、フィリピン国民の幸せを祈り、杯を挙げたいと思います。
28日、在留の日系人と面会、レセプション等
首都マニラのホテルで、太平洋戦争によって家族が犠牲になるなど苦難の道を歩んだ同国在住の日系人らをねぎらわれるなど多くの公務をこなされました。
・日本に留学・研修経験のあるフィリピン人と面会
・フィリピンに在留する邦人や日系人と面会
・看護師・介護福祉士として日本で働くことを目指すフィリピン人が学ぶ語学研修センターを視察
・駐フィリピン日本大使主催のレセプション
29日、マニラ郊外にある日本政府の慰霊碑を訪れ、太平洋戦争の戦没者の霊を慰められました。
両陛下は、現地時間の29日昼前、マニラ郊外のカリラヤにある日本政府が建てた「比島戦没者の碑」に到着されました。
慰霊碑には、太平洋戦争の戦没者が祭られていて、両陛下は、日本から訪れた遺族や生き残った元日本兵などおよそ150人が見守るなか、厚生労働省の二川一男事務次官の案内で、両国の国旗が掲げられた慰霊碑の前にゆっくりと進まれました。そして、側近から白い菊の花束を受け取ると、慰霊碑に向かって一礼して供花台に供え、深く拝礼して戦没者の霊を慰められました。
このあと、遺族や元日本兵たちの前まで歩き、一人一人に丁寧にことばをかけられました。天皇陛下は、ルソン島で戦死した父親の写真を手にした71歳の男性に、「残念なことでしたね」とことばをかけ、遺族などでつくる団体の代表には、「遺族も高齢の人が多くなるから、安定した生活ができるようよろしくお願いします」と話されていました。
30日アキノ大統領の見送りを受けられ帰国の途に
30日フィリピン訪問の日程を終え、1月30日正午頃アキノ大統領の見送りを受けられマニラのニノイ・アキノ国際空港から帰国の途につかれ午後5時前、両陛下は、政府専用機で羽田空港に到着された。
54年ぶりとなった両陛下のフィリピンご訪問。
大統領が空港に出迎え、そして、見送りするのは異例のこと。
日本とフィリピンが国交正常化して60年になる。
その間に、両陛下が常に全ての戦没者に心を寄せられ、両国が関係の和解に努めてきた軌跡が、今回の異例ともいえるフィリピン側のおもてなしにつながったものとみられる。.
皇太子夫妻時代のフィリピン訪問で、マニラに到着された天皇、皇后両陛下。右はマカパガル大統領(当時)夫妻=1962年11月05日(c)時事通信社
天皇皇后両陛下、パラオご訪問
皇太子ご夫妻、トンガご訪問
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2016-01-29 22:35
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