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稀勢の里 引退 我慢と努力の相撲人生 [稀勢の里]

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稀勢の里は会見の冒頭で「私、稀勢の里は今場所を持ちまして引退し、年寄・荒磯として後進の指導に当たりたいと思います。現役中は大変お世話になりました」と述べた。

我慢と努力の相撲人生


「土俵人生において一片の悔いもない」

東京・両国国技館で引退会見に臨み、「横綱として期待に応えられなかったことに悔いは残るが、自分の土俵人生において一片の悔いもない」と心境を述べた。



新横綱で臨み2度目の優勝を果たした2017年春場所では左胸などを大けがした。

質問がけがに及んだ時は。「徐々に徐々に良くなってきましたが、自分の相撲が取れなくなって、けがをする前の自分に戻ることはできなかった」と涙ながらに話した。
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「力士として幸せだった」

横綱昇進後に続いた苦しい時期には「このまま潔く引退するか、横綱に上げてもらって、ファンの人たちのために相撲を取るか、いつも稽古場で自問自答していました」と胸の内を明かした。

 日本出身横綱として大きな期待を背負ったことは「あの声援の中で相撲を取るのは本当に力士として幸せだった」と受け止めた。
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今後は後進の指導にあたる

今後は年寄「荒磯」を襲名し、田子ノ浦部屋付きの荒磯親方として後進の指導にあたる。
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「一生懸命に相撲を取る、けがに強い力士を育てていきたい」と語った。 


 ◇稀勢の里の略歴
  東横綱。本名萩原寛、茨城県出身、田子ノ浦部屋。02年春場所初土俵。04年夏場所に17歳9カ月で新十両、同年九州場所に18歳3カ月で新入幕と昇進し、ともに貴花田(後の横綱貴乃花)に次ぐ年少記録。新入幕時に萩原から改名。11年九州場所後大関昇進。
初優勝した17年初場所後横綱昇進。翌春場所で新横綱優勝したが、その後に年6場所制では横綱最長となる8場所連続休場。横綱在位12場所は、年6場所制が定着した58年以降では7位の短命となった。
優勝2回。三賞は殊勲賞5回、敢闘賞3回、技能賞1回。幕内通算714勝は歴代6位。通算成績は初場所3日目時点で800勝495敗97休。
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もう一度強い稀勢の里を見たかったなあ。
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白鵬の連勝記録を63でストップさせた稀勢の里=2010年11月15日 無題.png
【平29初千秋楽結び】稀勢、白鵬を破る【初優勝】


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2018年大相撲秋場所 稀勢の里 奇跡の逆転優勝


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平成28年11月場所10日目・白鵬vs 稀勢の里

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